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母との思い出

こんにちは。KETO-BAKE®︎です。

今日はアルツハイマー型認知症の母が施設に入ることになるまでの数ヶ月のことを書きたいと思います。

ちょっと長いです。

目次

2019年初夏

母が施設に入ることになったのは2019年。

ある日、母の近くに住む妹から連絡があり、
いつになく深刻だったので聞いてみると、
そろそろ一人で暮らすには限界なのではないか、
とのことでした。

わたしは、まだまだ大丈夫、そう思っていました。
そんなまだ元気なのになんで施設に入れようとするのか、そう思っていたくらいです。

それが夏の初め頃のこと。

母のところへ帰省すると、少し認知機能の低下が進んだかな、と思うところはあったものの、
まだまだ一人で暮らしていけそう、
と、そう判断していました。

わたしの見立てが甘かったのでしょうか。

その時のわたしの考え方としては、
これだけまだ体もピンピンしていて元気いっぱい、週3回も通っているデイサービスの話を楽しそうに(何回も)する、
今まで、聞けばいつも愚痴や不満しか言わなかった母の話が、
毎日楽しい!という内容に変わり、デイサービスでのいろんな出来事を笑顔いっぱいで話すのです。
そんな母を今施設に入れるのはかわいそうだ、これまでずっと家族のために頑張って生きてきたのに
ようやく今楽しいと思えているのに、
そんな今の母を、
いきなり施設に入れて自由を奪うなんて、わたしには出来ない・・・
そう思っていたのです。

本人の認知機能がどのくらい進んだタイミングで施設へ入ることを検討すればいいのか、これは多くのご家族様が悩まれているのではないかと思います。

わたしの母の場合は、近くに住む妹夫婦が介護に関することを調べてくれていました。
病院で診断してもらうこと、介護認定を受けること、デイサービスの見学など、
心配してたくさん調べてくれて、母にアクションを起こしてくれていました。

なのに、わたしは母の自由を優先しました。
母が楽しいと言っている毎日を送れる間は、この生活を続けさせてあげたい、
可能な限り、ギリギリまでその生活を送らせてあげることが母のためだ、
そう思っていました。

結局のところはわかりません、いつどのタイミングでどうすればよかったのか、なんて。

それでも母のことが心配で、その夏はほぼ実家で母と過ごすことにしました。

温泉へ

母は、それまで通っていたデイサービスから、そろそろ他へ移られてはいかがですかと促されるようになりました。
そのデイサービスは比較的元気な方が集う、リハビリや軽い運動を行うタイプの施設で、認知機能の低下が進んできた母には合わないと判断されたのだと思います。
見た目のことも指摘されるようになりました。
お風呂に入る回数も減って、髪もボサボサ、ヘアカットも行かなくなってしまった状態です。

お風呂はなぜそんなに入らなくなってしまったのか、ちょっと老人臭がするくらいになっていましたので心配でした。
浴室には入るものの、すぐに出てきてしまう母。どうも何もしないで出てくるのです。

髪もどうしてヘアカットに行かなくなったのか、白髪染めもいつもカットと一緒にしてもらっていたのに、自分でやるようになって、洗面台や壁紙が真っ黒に。
それを叱ってしまったこともありました。
なんで急にそんなこと? わたしはわからなくて。

そんな頃、母が、
有馬温泉へ行こうよ、二人で。覚えている間に・・・
そんなことを言ったので、慌てて日帰りできる旅館を探して数日後いくことにしました。
しかし、有馬温泉へ行きたいと言ったことは、翌日には忘れていました。
それでも母との旅はこれが最後かもしれないな、とそう思いながら行く事に決めました。

母は何度も親戚と来ている有馬温泉でしたが私は初めてで、それをこうして母と来ることができて嬉しいと噛み締めながら、当日行きのバスに乗っていました。

お風呂での母は

老舗高級旅館に到着したら、早速二人で大浴場へ。
誰もいない大きなお風呂場で、母と体を洗おうとしていたら、
母は、何をしていいのかわからないような様子で、
桶を持ってはまた置いたり。
わたしがやっていることを見て真似ようとするのですが、よくわからないといった様子でした。

それでわかったのです、母が自宅でなぜお風呂場からすぐに出てくるのか。

家でもお風呂で何をしていいのかわからないんだ、そう感じました。

服を脱いで浴室へ入って、そして何をするの?
わからないから出てきてしまう、

もうそんなところまで認知機能の低下は進んでいたんだなと、
全く母の様子をわかっていなかったなと、
なんとも言えない気持ちになりながら、わたしは母の頭や体を洗ってあげました。
一度や二度では頭の脂や匂いは取れないくらい、随分洗っていなかったのだと、
洗い方がわからない、なんて想像もしていなかった・・・わたしの心の中が母への理解が足りていなかった複雑な思いでいっぱいになりました。

薬のせいもありフラフラした足取りで温泉街を周る母と過ごした短い数時間でしたが、濃い時間となりました。

美容室を嫌がる理由

別の日、
母が通っていた美容室でカットしてもらおうと、買い物のついでに店の前まで連れて行きましたが、ものすごい拒否反応を示す母。
横に一緒にいてあげるから行こうよと言っても頑なに拒み、いややーーと叫ぶ母。

どうしてそこまで美容室が嫌になったのだろう、その原因がまたわからず、
その日の夜、自宅でわたしが髪を切って上げるからお風呂場でじっと座ってて、
というと、

え?切ってくれるの?と抵抗しなかったのです。

・・・ということは、本当は切りたいと思っているけど、美容室に行けない何か理由があるのだなと思いました。
それで、切り始めようとすると、手で顔を覆うのです。
・・・どうもハサミが怖いみたいでした。
母はずーっと手で顔を覆いながら、私はYouTubeで切り方を見ながら、切り終えました。

入浴方法がわからない、ハサミが怖い、(他にもマフラーを怖がったり。首を絞められる?と思ってたみたいです)
わたしが想像もしていなかった、母の中で起こっている感覚が、
次から次へと表に出てきて、
わたしはもちろん混乱しましたが、母自身相当辛いだろうなと。

そしてついに・・・

その日はとても暑い日でした。


いつも通っているデイサービスは午前中だけの半日で、母のルーティーンは自宅前まで送り届けてもらった後、家に帰らずそのままスーパーに買い物に行き、ちょっとお茶をしてから帰宅する、という流れなのですが、
その日は夕方遅くになっても帰ってこなかったのです。
流石に遅すぎると思い、慌てたわたしは妹に連絡。
お姉ちゃんは部屋でお母さんが戻ってきた時に居てほしいから、探すのはわたしたちでやるから、と妹夫婦が車で探してくれました。
そして警察に届けを出しておいた方がいい、と交番にも行ってくれました。

わたしはエレベーターホールと玄関を行ったり来たり、ウロウロ・・・
携帯電話には全く連絡なし・・・の時間が続きました。
数時間経って妹から、警察から電話があったと知らせがありました。
なんでそんな場所の交番から連絡が?と市をまたいだ知らない街の交番からの連絡。
どうやら数キロ離れた全く馴染みのない街で、大きな交差点を信号が赤なのに渡ろうとしていたのを見た人が、様子がおかしいと思ったようで、近くにあった交番に連れて行ってくれたそうです。

本人は「お墓参りに行こうとしたんだけどね」とカラッカラの声で言ってましたが(水分を全く摂らずにひたすら歩いていたから)、
足腰が元気な母は、家へ向かおうと、
ずーっとひたすら歩いていたんだと思います。

・・・わからなくなってしまったんだと思います、家に帰る道のりが。
いつものルーティーンなのに、自分がどこにいるのかがわからなくなってしまったんでしょう。
母はヘロヘロでしたが、目がギンキンで頭が冴えた感じに見えました。
ひたすら歩いたので、結果として有酸素運動をした状態になったからでしょう。

本人は、ごめんねごめんねと謝っていました。
とにかく見つかってよかった・・・
流石にその日の夜はぐっすり眠っていました。

この出来事が決定打となり、一人で暮らすことは限界だと判断しました。

続きは別記事で。

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