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グループホームへ引っ越し<2つ目の施設>

こんにちは。KETO-BAKE®︎です。

今回は、母の2つ目の施設へ引っ越した経緯と、そこでの様子を書こうと思います。

目次

コロナ禍になり

母の最初の施設は、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で、比較的元気な自立した生活のできる高齢の方が入る施設でした。

そこの施設には、新型コロナの数ヶ月前に入居し、コロナの期間はほぼそこで過ごしたことになり、3年半ほど居ました。

コロナの期間中は、その施設では入浴ではなくタオルで体を拭くことのみ、食事も食堂ではなく各個室で一人でとるようにしていたようです。
母は部屋からほとんど出ることがなくなってしまい、もちろん通っていたデイサービスも全部お休みでした。
それでもその施設内で感染者が出ても、母は罹る事なく元気だったようです。

面会も制限されていましたので、
ようやく母に会うことができたのは、最後に会いに行ってから1年半ほど経っていました。


細身の体型だった母が、すっかりぽっちゃりしていてビックリ。

もちろん、体を動かしていないことが大きく関係しているとは思いますが、念の為おやつを控えてもらうようにお願いしました。もしかしたらおやつを楽しみにしていたかもしれない母には悪いことしたかなとも思いましたが、おやつからの糖質を避けて様子を見てみることにしようと判断しました。

認知機能低下の速度が加速

わたしの母だけではなく、
新型コロナが流行していた頃の高齢者の健康状態の悪化の速度は早かったのではないかと想像できます。
健康だったわたしでも崩したのですから。
母はいろんなことが重なって、次第に認知力の低下の速度が速くなっていきました。

認知症の症状が進むと、施設の人から連絡がくるようになりました。
”お母様の認知症の症状の進み方が早いので、こちらとしても全体ミーティングを開き、どのようにお母様と接していけばいいのか対策を考えているのですが、何か良い方法はありませんでしょうか”
といった内容でした。

高齢者施設の人たちが困るほど、母の症状は悪化しているのか・・・と、
わたしが訪ねたときは、母はそんな様子はほとんどないのに、不思議な感じがしました。
どうも、施設の一部のスタッフの人たちと気が合わないようになってきてるんだなと、話を聞いていて感じました。そして、そこまで認知機能の低下が進んでいるのだなと、改めて思いました。

母は、たくさんのお兄ちゃんたちの中で可愛がられて育ったので、女性よりも男性に心を開く性格です。
男性スタッフさんとは仲良くやれるのに、女性スタッフさんだと合う合わないがはっきりしてきてしまった、
認知症の症状が進みどんどん理性や我慢がきかなくなり、素直な感情が出てくるようなことが増えたんだなと感じました。
それまではみんなとうまくやってこられていても、本当に思っていることや感じていることが、そのまま表情や態度に現れるようになったんだなと。
そうなると、スタッフさん側としてはやりにくいですよね。

次第に、そろそろ別のところへ・・・的な、施設を移ってほしいのかなと感じるようなことが増えていった気がします・・・

今の母にあった施設へ

わたしたち家族も、この施設ではそろそろ限界かもしれない、今の母にあったタイプの施設に移った方がいいのだろうと判断。
コロナの関係もあり、この施設からデイサービスにあまり通えないのであれば引っ越ししても問題ないだろう、
もっと認知症の介護に長けている施設の方がいいのではないか、
そう検討したわたしたち家族は、
認知症の人たちが一緒に生活をするタイプの「グループホーム」にすることにしました。

グループホームは認知症の人だけが入居できる施設で、家族のように一緒に生活するところです。
施設ごとに多少特徴はありますが、リビングで集まってテレビを一緒に見たり、食事をしたり、おしゃべりをしたり。家事のお手伝いをする場合も。介護スタッフの方も交えて生活を一緒に作っていく、そんなイメージです。

もう今の母には、デイサービスも楽しくなさそうだし、一人で部屋にこもっているよりも、安心して誰かそばにいてくれる人たちに囲まれているスタイルの方が合っていると判断しました。

2回目の施設選び

まだまだ新型コロナで制限があったので、施設内の見学が難しいところもありました。
そこで、たまたま教えていただいた前回とは違う紹介所にお願いをして、いくつかあげていただいた中から2箇所に絞りました。


見学に制限がありましたので、正直言ってもう、その紹介してくれる人に賭けた!と言っても過言ではありません。
コロナ禍でなければ、もっと選択肢があったかもしれませんが、その紹介所の人がとても良い方で、信用できると判断し委ねました。

コロナ禍での頼みの綱

2箇所のうち1箇所は中を見せていただくことができました。
見学に行ったところは今の母には合わないかなと判断できたので、もう1箇所のグループホームに期待することにしました。
もう1箇所のグループホームは、玄関口までしか入ることができませんでしたが、中の様子はパンフレットやホームページを見たり、施設長さんのお話などからイメージしました。
そして母の性格や最近の様子などを、施設長さんと紹介所の人とわたしの3人でお話させてもらいました。
わたしは、その施設長さんと母との相性やその施設で生活する母の様子を想像して、ここならよさそうと思えたので、そのグループホームにほぼ気持ちを固めました。
が、施設内の様子も見ていないし・・・もう、一か八かだと自分の直感を信じるしかありませんでした。

申し込みはしたものの、すぐには空きがなかったので待つことになりました。早く空いて欲しいと願いながら、でもそれ以上他の施設を探すことなく、そこ一択にしたのです。

空室が出るまでの間、母も入居中の施設のスタッフさんたちもお互い辛い時間を過ごすことになってしまいました。結果として、母にもスタッフの方々にもご迷惑をおかけすることになってしましました。

1ヶ月程待って、空きが出たと連絡があり、早速正式申し込み。
引っ越しの日や色々と手続きが進んでいきました。

またもや大きな壁

問題はまた、
母が嫌がることなく新しい施設を受け入れてくれるか
そこでした。

その頃、デイサービスの一部は再開していたので、前回同様、帰りの行き先を新しい施設にしてもらい母を送り届けてもらう、ということにしました。
ただ、今回はエリア外の施設に移るのは難しいとのことで、介護タクシーを手配し、母だけがそのタクシーに乗って移動するということになりました。

当日、話を伺うとそのタクシーに乗せるのもひと苦労だったようで・・・随分抵抗し、いやだいやだと言って大変だったとのこと。
もうこの頃は、デイサービスでもスタッフの方にご迷惑をおかけするようなことが度々出てきていたようです。
本当にたくさんの方々にお世話になりました。

タクシーに乗ってからはおとなしかった様子で、到着した新しいグループホームにはすぐ馴染みました。
グループホームの人の話によると、もう翌日にはお友達ができて、夜になっても部屋に集まっておしゃべりしたりしていたそうです。
認知症の人同士、何か通じるものがあるのでしょうか。
ひと安心しました。

こうして無事に引っ越すことができ、母の”イヤイヤ”も随分減ったようです。

もしかすると、母はとっても寂しかったのかもしれませんとっても不安だったのかもしれません。認知症の症状が進んでしまったことも、”イヤイヤ”を言うようになってしまったのも。

グループホームでの様子

そのグループホームに入ってからは、個室があるにも関わらずほとんど自分の部屋で過ごすことがなく、リビングでみなさんとテレビを見たりして過ごしているとのことで、
以前の施設で個室にこもっていたことを考えると、人との関わる時間が増えたことで安心感が増しているのだろうと想像します。

そしてグループホームの施設の方たちはみなさん、認知症患者の対応になれていらっしゃるので、母のこともよくご理解していただけて、こちらとしても大変心強い限りです。

そんな母は相変わらず体は元気。しかし認知機能の低下は進み、最後に面会した時はもう私が誰かわからない様子でした。


・・・ちょっとショックでした。
いつかはそんな時が来ると予想はしていましたが、目の当たりにすると流石に・・・
でも、なんとなく近しい関係の人間なんだなとわかってくれていたみたいです。
もしかしたら、名前はわからないけど自分の子供だということはわかったかもしれません。
そんな状態でも一瞬何かを取り戻し「大丈夫よ、大丈夫だから」とわたしに言ったのがなんとも言えない気持ちになり、今も心に残っています・・・

コロナ禍に突入してからの施設選びは、どなたも難しかったのではないでしょうか。認知機能の低下も進み、介護が必要なのにできない、放ってもおけない、そんなご家族様がいらっしゃったのではないでしょうか。そして施設選びに関してはもう”直感”で決めるしかない!と判断された方も多くいらっしゃったと想像します。

改めて施設選びの難しさを感じました。

そしてそんな状況下で介護をしてくださった多くの関係者の方々に感謝とお礼を申し上げたいと思います。

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